存在してないもの

在るようなないような雑記帳

「空飛ぶタイヤ」

 面白そうだったので公開日に見に行った。(以下、少しネタバレ含む。)


大逆転劇と聞いて、どうなるかと思っていたが、そこまでではなかった。「大」は不要かも。赤松自身が一から原因調査とかやって、すべての真実を暴くのかと思っていたが、実際には赤松運送の事故が起こった時点で、すでにホープ自動車のトレーラーの欠陥やホープ自動車自体の体質を問題視する人はたくさんいた。それはホープ自動車内部やグループ会社のホープ銀行も含めて。それらの点をつないでいったのが赤松といったところだろうか。赤松が従業員とその家族を守るために行動したことはとてもかっこいい。沢田、井崎、高幡が自分のことだけを考えず、それぞれのやるべきことをきちんとやったことも素晴らしい。赤松の妻の史絵も、夫への気遣いや息子のいじめへの対応をしっかりやっていて立派だと思った。


映画の中では、人ひとりが亡くなったという事実を、赤松や沢田が自分自身のこととして理解する場面がある。日常生活でもこういう不運な事故は起こるが、ニュースで聞くだけの人にとってはで現実味がないのが正直なところだと思う。普段の生活の中で、もし大切な人がこの世からいなくなってしまったらと考えることはまずない。考えたくないし。この映画を見て、ほんの少しでも想像する人がいるなら、この映画の存在意義はすごく大きいと思う。理想的には、こういうことを頭の片隅に置きながら、製品開発やインフラ整備などをやっていけたらいいのだが。


あと描かれていたのは、大企業はとても厄介な存在だということ。外からは内部のことはよくわからないし、内部の人間でさえ各部署の動きが見えづらい。それに内部の人間の上下関係のせいで言いたいことが言えないし、やりたいようにやれなくなっている。ひとりそういう上司がいるだけで、その部下は全員息苦しい思いをするのだ。不合理すぎる。肩書を持つ人は、人ひとりが果たせる責任を超える権限を持っている。それをどう使うかよく考えてほしい。自分や会社だけではなく、社会全体を見て判断してほしい。